masahirorの気まま記録簿

個人的な出来事や意見、生活などの記録を思うままにブログに記録

まだまだ苦労は多い・・・

長い闘病生活(約1年半)から、去年暮れようやく仕事に復帰。最初は突然の別部署で回りは知らない人だらけ、そして勤める者としてきちんとした生活サイクルに追いつけず、なかなか大変であった。やったことのない仕事がほとんど、だが、ペースを考えてくれて、まずは負荷の低い仕事から徐々に仕事に慣らせてくれた職場・会社には非常に感謝している。
そんな感じで、最初は人間関係構築への臆病さ、自身・気力のなさで、なかなか溶け込んでいくことができなかった。昔はこちらからどんどん話しかけていって、色んな人と気軽に話せる仲を作るのが好きだったけど、復職してからは極端に人間関係を避けていた。というのも・・・



まず、今思うのはうちの部署の配属になって、まず自分を下にとってしまうから、恐れ多くて話しかけられない。話駆られら分には返せる。
「話ってなに?」「会話って何?」
こっちは会話を止めてしまいたい、で止めてしまうとそれに発展したものができない。考えるという行為が苦痛で、それで追い詰められた感じになるから、それだったらまだ無言でいたほうが気楽かな。
今はだいぶ部署内でなれて、みんながみんなとはいえないけど、ある程度話せる人ができて、普段の話ができる人がいて、それから自信が出て普段の話も自然とできるようになった。
それまでは、自分から話しかけられると断られたりそっけない態度取られたりして怖かった。相手がどう取ってるか不安。相手も体調によるけどたまたま一度そっけなく返されると、どう思われてるか不安になる。
でも、だからといってそっけない返事をこちらを返したり話のつながりを切ってしまうと、今後話しかけてもらえなくなったりつながりがなくなるから、怖くて自分からがんばって応対するようにがんばっていた。
そういう状態の中、仲の良かった協力会社の人が撤退し、送別会があったのだけど人が足らないから参加しないかといわれ、知ってる人だったから参加したんだけど、周りはほとんど知らない人ばかりで。でも、戻ってきてからある程度自信が戻ってきたつもりだから大丈夫だと思ってたけど、やっぱり知らない人には話しかけられない。すごく立ち倍のない状態。
終わったあと2次会の話も出てきた。僕は体力的にはOKだったけど、知らない人ばかりで不安だし精神的に疲れるだろうから、どうしようか悩んでたんだけど、動機が誘ってくれたらからいくことに。断られないのも今の自分だし、断ったことで次から気楽に誘ってくれないのではという怖さもあった。でも自分にしてみれば無理なことをやってまでも参加はしたい、でも回りは知らないし、ましてやカラオケ。
だから、話すのもできないし歌うのも申し訳ないし。
だから、動機が一人いたから救いだったけど、同期は周りの人たちと仲いい訳だから、色々回ったり忙しい訳で、それで一人ぽつんとなると非常に不安感が出てきて、周りの人も離しかけてくれたりするけど、会話の内容を考えるのは大変だし、僕の一返事で終わっちゃうとまた辛くなるし、もうどうしていいか分からない。
逃げ出してしまいたい、けど勝手に帰るのも失礼だ。せっかく誘ってくれたのにこんな形で帰っちゃうと相手もしらけちゃってまた誘ってくれなくなるのもいやだし。。。って気持ちでゆれてしまう。また、知った人がいないとどうしようもない自分のふがいなさにも悲しくなって、それだったら周りは盛り上がってもらって僕は終わるまで一人になってじっとして他方がいいのかなと、ボックスの外へ。その時は久々に体が振るえ、心臓はどきどきだった。
一度、同期が心配して見に来てくれたのはうれしかった。けど、やはり中々落ち着かない。この状態で戻ってしまえば、色々な考えは消えないまま、消化しきれなくなって確実に泣いてしまう(前科あり)。

でも、この気持ちを分かってくれる人はいないし、そういう自分にふがいなさを感じてさらに悲しくなって自分を追い込んでしまう。

今の部署での付き合いである程度元に戻って自信もつけてきたつもりだったけど、やはり知らない人で、大人数のところに投げられたらどうしていいか分からなくなるってのを改めて痛感してしまった。
そういうのを久々に味わった時に「ああ、まだ健全な時には戻れてないんだなぁ」と実感してしまう。

せっかく同期がそういう場を作ってくれたのに、まだまだできなかったことへの自分への追い込みと同期への悪さも感じて、すごく情けなくなってしまう。けど、気持ちは昔みたいに色んな会に出席して話せる仲の人を増やして生きたいんだけど、それが結局できない自分が情けない。

今は知った中で数人〜10人程度なら、なれてきて普通に話せて普通に接せて楽しく感じるからOKになってきたんだけど、やはり知らない人が大多数の中では、まだまだなんだなと、まだまだ治ってないんだなぁと感じてしまった。
でも、そういう考えを持ってるからよくならないんだよ、って言う人もいるし、その言い分も分かる。そして、自分の考えや行動を変えていかないといけないのも分かる。けど、それができなかったから(今ほどひどくはないけど、積み重ねで)そういう病気にもなってしまった訳で。

最近、同期が一人転勤してきたので、同期の歓迎会飲み会をしようと自分が計画を立てて案内をだしたんだけど、返事がそんなに返ってこないってのを見ると「やっぱり俺がメールしたからかなぁ・・・」という気持ちになってしまう。自分は裏で動くから、名目上は他の人にお願いして他方がスムーズに行ってたんだろうなと思ってしまう。まあ、それでへこまないようになったのは昔より変わったところ。僕発信なんだから帰ってこなくて当たり前と思えるようになってはきた。だけど、それで催促するのは申し訳ないし、強気にも出れないから説得して参加させるってことも悪いと思ってできないし。
普通だったら、「忙しいんだろう」「メール見てないのかも」って思うんだけど、 今は「自分だから・・・」ってのを考えてしまう。
昔だったら、それを考えたらへこんでて、マイナスマイナスばかりに考えてたんだけど、今はそんな余裕もないし、それに流されてたら自分が自分を処理しきれなくなって悪くなる可能性を考えてたけど、今「しかないあか」と思えるようにはなった。
まあ、これを誰かに分かってもらえるのは無理だろうし、自分もそういう気持ちを言える人もいなければ、いてもうまく説明できないし、その説明をするのも苦痛。

だから、とりあえず今は仕事に慣れるのが最優先で、それで取り戻せて余裕が出てきたら、他の事に挑戦したり、人を誘う時も強気に出たり挑戦してみたりってのが試せるようになるんだろうけど、今は無理だから苦痛を感じながらもやるのはしんどい。
だから、まずは自分のことをうまく制御できるようにすることが一番だし、そういう周りとの掛け合いはその後からじゃないと、そんなに起用にはできないものだなと改めて実感させられた。
それが、今後の目標・・・かな。やっぱり大変だなーと感じた昨日今日でした。

こんな今の自分がすごく共感できるのが、鈴木彩子の「「どうせ私なんて…」はやめよう!」という曲。

(※もう今回は文章ベースで考え出すと、まだ文章力も向上してないしうまく掛けないと思ったので、言いたいことをマイクで録音して、それを元に文章を起こしました。いつもより少しは言いたいこと、感じたことが掛けたかな。)

(追記:この日記は、2005年6月1日に全て書いていたが、酔った勢いもあったし後半部分はあまりに恥ずかしかったので、コメントアウトして非公開にしていた。2006年2月13日、偶然に発掘し、ある程度冷静に自分を見れるようになってる今の自分と、記録としては残しておきたいので、誤字を訂正して公開。)