masahirorの気まま記録簿

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コンビニのお釣での出来事

仕事帰りに、コンビニに寄った。
弁当をレジに持って行き、さあお会計をしたらば、お釣が300円の表示。すると、偶然にもレジには100円玉が切れていた。
そしたら、店員の青年はあろうことか、何も聞かず50円玉6枚を渡そうとしていた。


ん?いったいどういう感覚してるんだ?


僕はあきれた。
まず、「何も確認せず」にお釣が無いから細かいお金を代わりに出すことがありえない。
確かに、チェーンじゃない個人の居酒屋やお店なら、そんな様子が見えれば「50円玉でもいいですよ」とか、店員さんが「100円切らして50円でいいですか?」と聞いてくる分にはぜんぜんOK。もちろん、どちらかが確認をして、お客が了承しているのだから。それに、個人だと本当に50本の小銭の束が切らしている可能性も高いわけだし、身近な接客をする間柄が個人の店の良さだから、これはよい。
しかし、コンビニやチェーンのお店ではありえない。チェーンであれば、きっちりとした経営マニュアルがあるわけで、おつりの小銭をどれだけ用意して金庫に入れておけばよいか、日々の売り上げから推測して用意することが出来る。
今回のパターンも、お店にはきちんとおつりの予備は蓄えてあった。しかし、店員さんはそれを取り出すのが面倒…かどうかは分からないが、いきなり50円玉を手に取り出したわけだ。
コンビニに求められるのは何か?と問えば、人や店で不変ない『基礎』接客によるブランドイメージ、買い物の早さ、である。
前者は後で書くとして、なぜスーパーに行けば安いのに、わざわざ定価のコンビニで買う人が多いか。もちろん気に入った店員が居るとかの人間的要素もあるが、ほとんどは「スーパーのように広くなく、目的のものがすぐ見つかり、歩き回る必要がない」というのと「レジがすぐ終わる」に限る。スーパーのレジは、食材を買い込みに来た主婦の方々でごった返しているし、第一「1つ前の人が置くかごのスペース」「スキャンするスペース」「スキャンしたものを置くスペース」と何においても大掛かりで、萎縮してしまう。ガム1つ買うのにこれは面倒くさい。サッと買ってサッと帰りたいものだ。
そういう意味で言うと、今回の青年は「早さ」を優先するため、50円玉を渡したのかもしれない。もしそう考えたのであれば、青年を見直す。
しかし、その後の行動でその考えはなくなった。「お待ちください」と言ってレジ下の金庫から両替を始めたのだ。2人店員が居て、相方がその様子に気づき「こっち(のレジ)から持ってこようか。何枚?」と聞いた。しかし、その青年は「いや、大丈夫」と両替を続行。これは到底「早さ」を考えた行為には見えなかった。単に「面倒くさい」だけだな、と分かった。
今回は、たまたま僕が100円玉が欲しかったので指摘したが、普通だったら50円玉で代用していいかと聞かれもしなかったので、何も言わず受け取っていただろう。他のお客さんでもそうだろう。しかし、何も言わないけど内心は「なんだ?」と疑問に思うはずだ。
回避する方法はいくらでもある。レジが2台あるのだから、その2台間でとりあえず500円程度両替をし、お客が居なくなってから金庫から50枚の束と両替するのもひとつ。もっと言えば、直前にレジしてて、枚数が少なくなるのに「気づかないわけがない」のだから、前のお客さんが帰った後にあらかじめ両替して置いておくことだってできる。これは、単純に「面倒だから」「そのときになれば」という人間のものぐさから来てるとしか言いようがない。
といっても、後者は人間なのでどうしても出てしまう。そうしたら最初にあげたほかのレジとすぐ両替すればフォローできることだ。その2つ目のレジでも足らなければ仕方ない。しかし、客は「その行為をやったかどうか」で評価は変わる。仮になくても、「すぐ対応する」という意気込みが見えれば、なにも不満はおきない。


たいしたことではないように見えるが、こういうものの積み重ねで、客は徐々に避け、遠のき、売り上げが落ちていく。
自分に対して、同じ店で同じことが2回起こったらどうだろうか。店員にしてみれば1日2、300人、週に何千人と相手しているうちの2回だから、それほど重要には思わないかも知れないが、その客にしてみれば客と店は1対1、それがすべての評価となってしまう。そうなればその客は思うだろう。「この店は両替もちゃんと用意してない」と。
これはもう決定的だ。
店員にとって客は何千・何万分の1、しかし客にとって店員は1対1、これを忘れてはいけない。何千分の1に起こった出来事が、「他の人にはちゃんとしたし、1人だけだからいいっか」と思っても、その1人の客にとっては、それが店の評価すべてとなる。決して悪阻楚歌にしてはいけない。


「ブランド」という言葉もあげたが、コンビニは「絶対」でなくてはならない。それはそういう戦略だから。そこに世間話や馴れ合いは不要なのだ。最低限のことを滞りなく、失礼のないようにするのがコンビニで、人のふれあいを求めるならお客さんの方から話しかける、これが基本。そうなると、100円玉を50円で代用するなど、絶対にあってはならないことなのだ。
とはいえ、最近は「フレンドリー」を打ち出すコンビにも増え、そういった他店との差別化をしないと生き残れない時代だから、「ブランド」を絶対に守る必要はないと思う。本部の方針にもよるけど、フランチャイズとはいえその店を任された「店長」がいて、ある程度やりたいようにやれる。なので、接客や客との会話に力を入れるのはぜんぜん悪くない。
しかし、それはあくまで「基礎接客」の上に成り立っている。「基礎接客=最低限の接客」は必要。これは、今回の50円玉事件が該当するのだ。
仲良くなって、常連となり、店員さんと話す仲なら多少「基礎接客」が崩れても、逆に話すきっかけとなりより親身に慣れたりもするが、まったく面識のないもの同士だと嫌悪感しか生まれない。



長々と書いたが、「コンビニなんてただのバイトだろ。そこまで求めるなよ。」といわれればそれまでです。でも、バイトでも仕事は仕事。自分の仕事には誇りを持って、常に向上心をもって取り掛かってもらいたいものです。


おまけ。接客を「こう変えたらお客が気持ちよくなれる」というものを数点挙げてみる。接客向上作戦。

朝6時〜10時頃までは「ありがとうございました。またお越しくださいませ。」ではなく「ありがとうございました。いってらっしゃませ。」という。
コンビニに朝寄る人は、多くの場合これから出勤。一人身であれ、冷え切った家族であれ、円満な家庭であれ、他人でも言われると嬉しいもの。一言変えるだけで、その店のイメージがだいぶ変わる。もちろん、仲には出勤以外の人もいるだろうが、朝言われると気持ちいい物であるし、元々「またお越しくださいませ」もろくに聞いていない人が多いのだから(だからといって言わなくていいという意味ではない。意外と記憶の奥にしっかり残っているものである。)気にしなくて良い。文句を言う人もたまに居るかもしれない。例えば「今夜勤帰りだよ!」って。しかし、そこで会話が生まれ「次からこの人には「おつかれさま」といおう」とお客さんを覚え、それを次されたらそのお客さんも嬉しいものだ。馴染みの店に「アレ頂戴」と同じ感覚。こうやって常連さんは増えていく。
夕方から深夜にかけては「またお越しくださいませ。」ではなく「お疲れ様です」という
上とほぼ同じ理論。こちらは、仕事中に立ち寄っただけでも、仕事帰りでも、これから仕事でも全部通用し、幅が利く。お客が学生だからといって言い分ける必要はない。学生でも言われると意外に思うが、悪い気はしない。何度か通えば慣れてくるし、それを言われないと「1日が終わった気がしない!」という気分にもなる人も居る。そうなれば最高。学生のちょっと早い社会勉強にもなるしね。

他にも色々あったが、最近レジに立ってないので忘れてしまった。思い出したら追加することにしよう。
すべてにいえる基本は、「恩着せがましいことはしない」ということ。業種によっては「押し」が大事かもしれないが、コンビニは客にとってはあくまで「空気」。そこで恩着せがましいことをしては心理的に自然と立ち寄りづらくなる。何気ないことの積み重ねが、一番客の心を動かせる、それが「コンビニの接客」であると僕は思う。
もちろん、時には「押し」も必要だけどね。でも、まずは「空気」になることができてからの話だろう。