masahirorの気まま記録簿

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お通夜出席&葬式の思い出

上司のお母さんがご逝去された。そのため、急遽お通夜に出席することに。
社会人になってから、葬式・通夜に出席したことがまったくない。しかも身内以外でならほとんど経験ない。なので、どういう格好で言ったらいいのか、いくら包めばいいのかとか全然分からずじまい。結局、職場の人から話を聞いて、

  • 「衣装は普段のスーツでよい」
  • 「シャツは白が好ましいが、お通夜であれば薄い色ならギリギリOK」
  • 「ネクタイは黒がよいが、紺色なら問題ない」
  • 「香典は3000円、ピン札じゃない方がよい」

という情報を得た。
格好やピン札の件については、結婚式と違い「いつ起こるか分からない」わけで、逆に礼服にピン札だと「準備万端で死ぬのを待ってました!」と受け止められマナー的によろしくないらしい。だから、あくまで「急のことでしっかりした準備ができていない(ただしある程度の礼儀はわきまえて・・・)」の状態がよいとのこと。


僕が出席した葬式は2回。多分母の父*1の葬式が1回と、おじいちゃんの葬式が1回。
特に、おじいちゃんの葬式だけは忘れられない。通夜と聞くと、必ずこのことを思い出す。


小さい頃、おじいちゃんが大好きで、小学生のとき夏休みとか冬休みになると、ほぼ全部おじいちゃんの家ですごした。おじいちゃんはゲートボールの名手で、よくパッカーという農作物を運ぶ軽トラみたいな乗り物(オープンカー)に乗せられ、畑や田んぼに行ったり、ゲートボール場に連れて行ったりしてもらってた。将棋を教えてもらったり、戦争のは無しを聞いたり、おじいちゃんが入院したときはテレホンカードの使い方を教えたり、電話がかかってきて話したりととても仲がよかった。
だけど、中学生になると思春期や、おじいちゃんの痴呆が進んだので、険悪な仲に。湯飲みを投げつけられたり、何度もぶつかることがあった。
そして、高校のとき亡くなった。もうその頃は、おじいちゃんもずっと入院してたし、会うことがほとんどなかった。なので、聞いたときは「ああ、死んでしまったのか・・・」とそれほど大きい思いもなかった。
すぐに祖母の家に行き、おじいちゃんの顔を見る。とてつもない悲しさが襲ってくる。表現のしようがない。決して怖く思ったわけではなく、「もう笑うことはないんだね・・・」と重さを痛感した。それから通夜があり、寝ずの番をおじさん達と一緒にやった。頼まれたわけではないのに、なぜかせずにはいられなかった。その間、おじいちゃんの顔を再び見ようとすることはなかった。
次の日告別式。通夜も告別式も祖母の自宅で行われた。このときまでまったく泣いていなかった。それは、冷めた気持ちではなく、あまりにもことが大きすぎで受け止めきれず、どうしていいか混乱してる自分があったからなのだろう。
告別式も終わり、いよいよ出棺の時間。杯を割り、割った破片で棺おけの釘を親族が順番にたたいていく。もうこれで見納めなのだ。この時同時に、亡くなった人が大事にしてたものも入れる。愛用して、僕も投げつけられた湯のみなど入れられ、僕も釘を叩くのをやった。この時も悲しかったが、泣くことはなかった。
そして出棺。親族なので、あとについて火葬場へ向かう。
火葬場へ付くと、棺おけを入れ火がつけられる。ここからなのだ、僕が動けなくなったのは。
まったくもって原因不明。同じ場所に立って、微動だにせず棺おけの入った焼却炉を見つめている。見つめていても、燃える様子が見えるわけではない。釜の扉が見えるだけなのだ。なのに、一点をじっと見つめている。
今考えてみると、あの時何を思っていたのだろうか、まったく覚えていない。ただそこに立って、動かなかったとしか覚えていない。昔のおじいちゃんとの思い出が浮かんでたのかもしれない。
立ち尽くすこと30分、家族も心配になったのか僕を食事会場に連れて行こうとした。火葬場では火をつけてる間、奥の部屋で食事をするのだ。「そろそろ行ってごはん食べようよ」と誘われたが、まるで何かに取り憑かれたかのように動こうとしない自分。

何度か誘われ、ようやく自分の意思で動こうと、1歩踏み出した瞬間。これまで1度も泣いていなかったのに、一気に号泣。声を出してえーんえーんと泣き出す。それが10分ぐらいでさらにその場を離れれなかった。少しでも離れると悲しみが増し、さらに泣きが強くなる。
今だに、これは何だったのかずっと不思議。なにかおじいちゃんの見えない力があったのか、自分とおじいちゃんの思い出の確認やお別れを無意識にしていたのか。。。この一件以来は、僕にとって葬式はとても感慨深いものになった。


という訳で、今日急遽だった訳だが、葬式はやはり突然来るものだなと実感。黒ネクタイも持ってきてなかったし、白シャツでもなかったので、定時過ぎて近くのダイレックスで急いで買ってくることに。買ったあとも香典包んだりと、財布にあったお札が一気になくなった…この分だと今月も辛そうだなぁ。
しかし、こういうのはしっかりやっておくべきだし、こういう出費なら文句もない。
ご冥福をお祈りします。

*1:母は僕が3歳のとき離婚しており、その葬式に出席したのが5歳なのでほとんど覚えていない。