masahirorの気まま記録簿

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九州北部 大型地震発生!!!

朝10時過ぎ、まだ寝てたのだが、大きな揺れで目が覚める。
「おおっ、地震だ!」
と思ったのだが、いつもより揺れが激しい。「これはやばい!」と思い、とっさに寮のドアの入り口を開ける。特に、今住んでる寮は古いしぼろいから壊れないか心配。
1分ぐらい揺れた後、ようやく収まった。当方、地震の経験は結構あるほうで、元々宮崎なので多いのと、ちょっと前まで東京に住んでてここでも多かった。大きい地震は2度ほど経験してる。1987年の日向灘沖の地震。このときは幼稚園生。もう一つが1996〜7年頃、当時学生で都城にある学生寮に住んでた時の地震。

とりあえず、その経験の中でも今回の地震は一番長く、強かった。すぐテレビをつけて確認。すると、しばらくしてNHKが放送を切り替えた。切り替えるということは相当大きい地震だったということだ。
そして見てみると、福岡で震度6弱、住んでる北九州でも震度5はあったとこのこと。これは大きい。その後、あちこちチャンネル変えても、ほとんどのチャンネルで緊急ニュースに切り替わっていた。
しかし、一番思ったのは、これだけ大きい扱いをされて、さすが福岡は大都市だなと。

その後、電話も使用不可。昼2時ごろ、実家から「大丈夫か?」との電話があった。ずっとかけてたが繋がらなかったらしい。同時に、11時頃送ったと見られる親からのメールも到着。電話は使用不可状態が長く続いたみたいである。
auのEzwebで「災害用伝言板」を見たら、稼動してた。新潟の地震以降、仮運用されていたが、今回使用可能になっていた。これ、こういうときこそうまく使うべきなんだろうなと思いつつ、親はメールは出来るがWebはできないので、意味無いなと思って今回は入力しなかった。

話は変わるが、親が1968年の「えびの地震」を経験している。家が崩れそうで危なかったので、家の下にある竹やぶでテントを張って、兄弟5人+親2人で1ヶ月ほど生活をしていたらしい。
この経験は小さい頃からよく聞かされてたので、地震には人一倍気をかけるようになった。まあ単に心配性なだけかもしれないが。それで、微妙な揺れで地震かどうか分からない時は、蛍光灯のON/OFFをするひもを見ろと言われ続けてたので、今も「地震かな?」というような震度1〜2ぐらいの揺れの時はすぐに蛍光灯のひもを見る癖が付いている。親は今でも、寝てる時に少しでも揺れを感じたら、すぐ目が覚めると常々口にしている。

そんな訳で、久々のでかい地震で相当びびった。まあ何事も無かったように、夜は飲みに行ったけど。その飲みに行った相手も、電話は使用できずメールで誘いが来た。もう夜6時を回っていたが、この日はずっと不通状態が続いたみたいだな。

ちなみにこの地震、今日現在決定ではないけど「福岡県西方沖地震」というらしい。